活動記録2020/1/23 
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●「太平洋の島から世界に発信する」by ひのゆうさく

クリスマス島、そしてタラワ島

昨年の12月、私は太平洋の中央部に位置するキリバス共和国の首都タラワ島に訪問した。訪問の理由は、島のごみ問題の調査と、この地に住む若者たちのメッセージを世界に届けるためである。

キリバス共和国とのご縁は、今から15年前の2004年に、同国のクリスマス島(キリスィマスィ島)でのゴミ問題解決に向けた活動がきっかけだった。水爆実験の英軍駐留地であったクリスマス島には、朽ちた車両やドラム缶などの軍事廃棄物がいたるところにあり、空き缶やプラスチックなどの生活ゴミも捨てっぱなしの、島そのものがゴミ箱と化した状態だった。そんな状況を見るに見かねて発足した団体『クリスマス島クリーンアップ基金(CCUF)』から、島のゴミ問題の解決策を提案してほしいと頼まれ、環境学習やリサイクルシステムの構築に向けて活動したのである。その後クリスマス島では、英国によって軍事廃棄物が撤去され、島内でアルミ缶のリサイクルシステムが始動し、年1回のイベントとして始めたビーチクリーンアップも、毎月恒例の学校行事となり、あの頃のようなゴミの散乱したビーチはなくなった。今では、貴重な野生生物の生息地として注目されるとともに、温暖化で沈むには惜しい美しい島として、多くのエコツーリストが訪れている。

そんなこともあって、次は首都タラワ島のゴミ問題に取り組んでほしいとの要請があり、今回の訪問となったのである。

タラワと日本との因縁

実は、ここタラワは日本とも縁が深い。かの第二次世界大戦(太平洋戦争)で、初めて日本とアメリカが白兵戦を行った因縁の場所である。恥ずかしながら、タラワ行きが決まった後にネット検索し、私はその悲惨な歴史を知ったのだが、約4800人の日本軍が3万人を超えるアメリカ連合軍を迎え撃つという、血で血を洗う激戦地であった。そんな「タラワの戦い」の地に赴くにあたり、私はゴミの調査だけでなく、慰霊の旅でもあるという気持ちを新たにした。それは昨年他界した父の代わりという気持ちでもあった。父は南方に出兵し、全滅した部隊でかろうじて生き残った一人だった。彼がもし生きていたら、きっと私に慰霊の思いを託しただろうと。

タラワ島には、フィージー経由で行くしかない。日本からは約30時間の旅である。現地に到着して間もなく、私とCCUFの中心メンバーである助安博之くんは、現地の青年と合流。彼の名は、クルーズ。クリスマス島出身で、CCUFの活動を支えてくれたファミリーの息子である。彼とは、一緒にビーチクリーンアップをし、7歳の誕生パーティーを祝った仲である。そんな彼も、もう21歳。高校卒業後、タラワに来て暮らしていた。

懐かしい彼の子供時代の思い出ばなしをしながら、車に揺られ私たちはホテルに向かった。その途中、彼は通りに面した公園の前で車を止めた。そこには金属製の碑が建てられており、「1942年10月15日にベティオ(タラワ島のベティオ地域)で日本人によって殺害された英国人の記念碑」と記されていた。また、同じ通り沿いの少し離れたところには、立派な石造りのアメリカの慰霊碑があり、その場所での死者数や負傷者数が記されていた。このようなアメリカ連合軍の慰霊碑は、島内の戦争跡地ごとにあり、いずれも綺麗に整備されていた。一方、日本の慰霊碑はというと、通りからはずれた住宅地のゴミだめの奥に、ただ一つひっそりとあった。その場所は施錠されており、入ることは叶わなかったが、訪れる人もなさそうなその佇まいを見て、戦勝国と敗戦国では、死者の扱いもかのごとく違うのかと落胆した。帰国後、ネットで調べてみると、そこには日本人の慰霊碑とは別に、日本兵として戦った韓国人の慰霊碑も並んで設置されているという。また、年に1度は慰霊祭をすることを知り、少し気が安まった。

アメリカでは太平洋戦争の激戦場として多くの人に知られている「タラワの戦い」だが、日本ではあまり聞くことがない。それだけに、この地で死んだ日本人や韓国人のことも、忘れ去られようとしているのかもしれない。玉砕するまで戦うことを強いられた日本兵は全滅し、その血に染まった海岸線は、後に『ブラッドビーチ』と呼ばれるようになったという。本当に、悲しい話だ。

しかし、タラワの砂浜には、今でも日本軍が作った砲台や、塹壕が、朽ちたままその姿を残している。人員も武器も貧弱な日本が、最強のアメリカ連合を迎え撃つために作った砂上の楼閣。そんな日本軍の遺物に案内された時、私は愕然とした。なぜなら、そこはゴミだらけだったからだ。エメラルドグリーンの海、白い砂浜。そんな風景にアンバランスな、落書きだらけの朽ちた砲台と散乱したゴミを見て、私は涙が出てきた。そして、「ステューピッド!」と叫んだ。

人類の愚かな行為が集約されたその場所は、本来、サンゴ礁の美しい島であり、野生生物の宝庫であるはずだ。しかし、その場所は過去の戦争で血塗られ、人知れずゴミで埋め尽くされ、地球温暖化で沈もうとしている。このことを放って良いわけはない。

私たちはまず、この場所からビーチクリーンアップをしようと、クルーズに提案した。彼は私たちの思いを受け止めてくれて、すぐさま力になると言ってくれた。そして、彼の友人たちを紹介してくれることになったのである。


音楽を通じて世界へメッセージ

キリバス共和国は33の環礁と島からなる諸島である。その首都タラワには、大学ができたこともあり、島々から移住する若者も多い。そんな若者たちの間では、音楽が共通の話題である。インターネットの普及で、海外の音楽も一般的だが、それ以上に地元のミュージシャンが親しまれている。ただ、日本のような業界はなく、ほとんどが個人レーベルで、仲間同士で音楽データをやり取りしている状況だ。特にダンス音楽が盛んで、毎日のようにあちこちでダンスパーティーが開かれている。

クルーズから紹介された友人たちも、みな音楽好きで、ミュージシャンも多い。私たちはそんなクルーズの仲間たちとビーチパーティをしながら、ビーチクリーンアップの相談をした。そんな中で、楽しくないと誰も参加しないとの意見があったので、クリーンアップ後にダンスパーティーを開催するのはどうだろうと提案した。もちろん、彼らは喜んで賛同した。そしてもう一つ、音楽を通じて島々のことや、環境のことを世界に発信できないだろうかとも提案した。

それは、温暖化で沈むと言われている島だからこそインパクトがあり、世界が今どういう状況にあるのかを考えさせる大きな役割が、彼らにはあると思ったからだ。そして、今回の訪問を機に、島の若者たちが世界に向けて音楽でメッセージを伝えるという企画もスタートした。

クルーズと仲間たちが参加して作るサウンドは、英語と日本語とキリバス語の混じったダンスミュージック、『If you gonna wake up tomorrow』。今年のアースデイ(4月後半)には、タラワでのビーチクリンアップ開催と共に、このサウンドとプロモーションビデオを世界に向けて発信する予定だ。もちろん、日本で開催されるアースデイイベントでも、彼らの活動を紹介する予定である。


今回の訪問では、小さなエコロジー活動しか提案できなかったが、この地の若者を中心に、数年後には島全体が大きく変化するだろうと期待している。それは、クリスマス島での経験を経て、市民が心から動くと、社会も大きく変化するという、確かな確信であった。

そんなことを振り返りながら、日本のことを見つめ直すと、いかに日本社会の複雑なことか。キリバスとは人口数が比べ物にならないというだけではなく、有り余る豊かさの中で見失っている何かがある。それは、貧しくとも、不便でも、友と共に人生を心から楽しもうとする純粋さなのか。ビーチクリンアップもリサイクルも、彼らは義務としてではなく、楽しみをそこに見つけることができる。そんな彼らの生活を、温暖化という先進国のエゴで奪ってはならないと強く感じた。
 
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